コロナ後の経済環境について

コロナ後の経済環境について

先週はインディペンデント・ワーカーの雇用について書く予定だったが、コロナにおける経済対策について所感を述べることにした。

そのように思ったのは、今朝のNHKニュースが取り上げていたコロナ禍の経済対策で国が行ったゼロゼロ融資の結果、今年の倒産件数は過去20年で最も低い水準(3,083件)に止まった反面、その借入残高は30兆円にのぼるっているという記事についてFaceBookに投稿したところ、中小企業金融円滑化法など倒産回避政策の結果、技術革新やダイナミックな産業再編等の経済活動の停滞を招いたのでは?といったコメントを頂いたからである。私自身全く考えが及ばなかった貴重なコメントをお寄せいただいた方にはこの場をお借りして深く感謝したい。

無利子無担保のいわゆるゼロゼロ融資は、報道によれば観光業や飲食業のなかには「気付けば借金2億円」という企業も少なくないようだ。コロナ感染の波の完全な収束が見通せないなかで、今後10年間で返済できる見通しは立っていないのが現実だろう。ゼロゼロ融資を受けた企業の大半は通常の融資も受けているだろうし、月々の利払いも迫られているだろう。客足が100%戻る見通しは見えず、観光需要の2割を占める外国人観光客は当面期待できないなかで、当然のことながら新たな融資も必要になるだろうが、多額の債務を抱える企業への追加融資には、よほどの好条件が就かない限り金融機関も二の足を踏まざるを得ないだろう。

こう考えると、政府が経済対策の柱として行ったゼロゼロ融資は、かつてのサブプライムローンのように見えてしまう。経済秩序を逸脱した融資は麻薬のような作用しか生じさせず、後遺症に長く苦しむことから、いかなる緊急時においても行うべきではない。ゼロゼロ融資は半ば給付に近くいざとなれば政府が代返するはずだと思う方もおられるかもしれないが、決定的に異なるのは金融機関が介在していることである。言い換えれば、無利子無担保の不良債権を金融機関が抱え込むことになり、この処理には多大な労力を要することだろう。政府が給付ではなくあえて融資にした理由については、今後国会などでしっかりと説明してもらいたいものだ。

さて、前置きが長くなってしまったが、技術革新や産業再編などわが国経済のダイナニズムを取り戻す上で考えるべき課題について考察していきたい。

以前のブログで、「組織は共通の目的を持った協働の意志によって成り立つ」というC.バーナードの一節を引用したが、この言葉を裏返すと「目的を失った組織は存続の意味も失っている」と解釈することもできる。実際、彼は「組織を維持するには共通目的感の共有、協働意欲(貢献意欲)の保持、コミュニケーション(伝達)、そして組織均衡の維持が欠かせない」とも述べている。組織均衡の維持とは、組織に参加するメンバーが組織に参加する意味であり、それを感じなくなれば組織に不満を感じて離脱していくという考え方である。

日本人にとっては、極めて西欧的なドライな内容と受け止められそうだが、こうした考え方は経済のダイナニズムにとって非常に大切であると考える。それを理論的に証明した学説が、レーン=メイドナー理論である。

スウェーデンの経済学者イェスタ・レーンとルドルフ・メイドナーによって1951年に提唱された「レーン=メイドナー・モデル」の概念は、≪4%内外のインフレ率に留めつつ、失業率を年2%以内に抑え、かつ国内経済全体の生産性を向上し国際競争力を高めるには、労働力移動の流動性を高めることが不可欠である≫という考え方である。つまり、同一労働・同一賃金を前提として、賃金に対する利潤率が水準以下であればその企業は合理化が求められ、それでも維持が困難な場合は企業に解雇権や倒産権を認める一方、賃金に対する利潤率が水準以上の企業は、拡大再生産のため労働力需要が生じ、失業労働者の受け皿にするといった考え方である。スウェーデンでは、90年代後半のバブル崩壊後の通貨安で深刻な打撃を受けたが、レーン=メイドナー・モデルを基調とした労働政策を遂行した結果、労働力の流動性が高まるとともに高付加価値産業へのシフトが進み、産業全体の新陳代謝の活性化が実現したと言われている。

こうした経済モデルでは必然的に失業者の増加のもつながり、事実、下図のとおり失業率を比較すると、わが国とは大きく乖離している。

ただ、国民の所得格差の推移をジニ係数から見ると、わが国はもちろん、他国に比べ大きく下回っている。これは、3倍近い失業率の開きがある両国から見ても驚くべき傾向と言わざるを得ない。

おそらく、その原因が賃金水準にあるということは、すでに多くの方は察知されたと思う。

すなわち、同一労働・同一賃金を採用したスウェーデンでは、能力を開発することで、より高待遇の職種や企業に雇われることができるということである。職業訓練といった能力開発のための支援などを含めた雇用政策に、国家予算の9%を拠出していることも、わが国とは大きく事情が異なっている。ちなみに、スウェーデンなどの北欧諸国は高福祉国家と言われているが、この表現にも誤解があるように感じている。つまり、労働者が高収入を得ることで収税額を向上させ、余力を持った国家財政を基盤に新たな技術革新など経済の新陳代謝を高めるといった国家経済戦略のもとで築かれた制度なのである。この点は、わが国で考える福祉という概念とは大きく異なる点である。

これに対して、わが国の経済対策の目玉はどこにあるのだろう?と改めて考えてしまう。

雇用を守るという崇高な理念は理解できるが、1989年には20%だった非正規雇用者は、2018年には40%まで増えたという統計値もある。また、賃金水準も正規・非正規ともに大きな伸びは示されていないことは、以前のブログでも下図をもとに紹介したとおりである。

福祉に対しても、わが国独自の考え方が根強く残っているように感じる。失業者や高齢者などを社会的弱者と位置づけ、手厚い保護を施すのは人道的な観点から決して否定はしないが、一歩誤るとかつての救貧思想にもつながる危険もある。その典型が、今日の生活保護政策ではないだろうか。

先に例で示したスウェーデンでは、失業者に対して極めて手厚い行政サービスを行っている。失業手当も3年間は支給するが、この間は次の就業に向けた訓練期間と位置付けている。つまり、新たな職に求められる技能を磨いたり、次のビジネス創出に向けた計画を練ったりと様々なチャレンジを行う準備期間であり、その間の生活を保障するために支給される、いわば国による労働者への投資のような性格を持つ。

わが国の生活保護制度でも、最低限度の生活を保障することで、自立を助長すると目的に書かれてはいるが、現実には下図の生活保護停止理由の割合が示すように空文化しているように思えてならない。

生活保護停止理由で死亡が圧倒的に多いのは、高齢者の生活保護世帯が多いことに関連している。

こうした点が、福祉概念の違いとして表れているのではないだろうか。

さて、冒頭でFaceBookで示唆に富んだコメントを頂いた方がご指摘になった「中小企業金融円滑化法」についても触れておきたい。この法律は、リーマンショックによる金融危機と景気低迷のダブルパンチに見舞われた中小企業を救済するために、借り手が返済負担の軽減に可能な限り応え、貸付条件の変更等を行うよう努めるようにする法律で、3年間の時限立法として2008年に当時の民主党政権が設けたものである。2度延長され、結果的には2013年3月末に終了したが、その評価については賛否両論がなされている。最大の批判は、経営が脆弱な企業を無用に温存させたことで、結果的に産業の新進代謝を阻害し、企業経営の健全性まで損なったといった評価である。
90年代から長期化した経済危機に際して、先に述べたような劇薬ともいえる経済対策を掲げたスウェーデンとは大きく違う点がこうした政策の違いにも顕著にみられるようだ。

いま懸念することは、直近ではゼロゼロ融資が不良債権化することでわが国の経済全体の足を引っ張らないかということだが、中長期的には政府融資という麻薬に近い劇薬の禁断症状が長引くことで、ドッグイヤーと言われるほど変化の激しい国際社会のなかで競争力が維持できるだろうかと非常に心配である。

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